明石で蛸壺の山を見る

玉津からずーっと海に向かっていくと漁港に行き着いた。
明石の林崎漁港だ。
画像

蛸壺の山があった。
明石と言えば明石タイとともに明石タコが名産。
そして、あの「マルハ」(現マルハニチロ)。
1880年に中部幾次郎氏が鮮魚仲買運搬をこの林崎漁港で開始したのがマルハの創業という。




ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

たぁくんママ
2011年10月11日 19:19
マルハってあのソーセージなどの~?
マリハと中部幾次郎~?
中部さんといえば、たしか
明石高校(旧制中学)の
卒業生で
中部講堂ってのがあったような~
ん~・・・、違うかもしれない
記憶はあやふや~
2011年10月11日 21:26
たぁくんママ さん>
そう、あのマルハ。
中部講堂を寄付した中部謙吉氏は中部幾次郎氏の次男だそうです。
中部謙吉氏は元大洋漁業社長、元大洋ホエールズオーナーで明石市名誉市民だそうですね。

この記事へのトラックバック